2015年09月11日

昨日が今日となっても、今日は明日という未来を刻まない

【随時更新】大雨特別警報 各地の状況まとめ
http://news.yahoo.co.jp/story/26

逃げる間もなく、家が流され車が水没した。
行方不明になった人も多かろう。

昨日までの平和な日常はどこに行ったのか。

昨日が今日となり、今日が明日に続くと信じているからこそ、人は勤勉に働き、日々の糧を得ようとする。多くの人が家族をつくり、肩に担ぐ荷物を一つひとつ、増やしていく。

人の生涯は、より多くの荷物を持つこととイコールだ。しかも、それらの荷物のほとんどは金の力によって得られるのだ。資本主義の申し子として、荷物を担ぐために我々は、額に汗して生きていく。これが、まっとうな、正しい生き方だと信じて。

自然の力は、そんな幻想を瞬時に打ち砕く。

人間たちのちっぽけな夢や希望なんてものは幻に過ぎないのだと突きつける。

モノは儚い。

モノにすがる人生もまた、あぶくのようなもの。しかしモノにすがらせることで、この世は回る。しかし本当は、モノなんて、不要なのだ。土地も家も、宝石も車も、あるいはコレクターたちのお宝も、大変動の前では何の役にも立たぬ。水に襲われれば単なるゴミクズと化す。

じゃあ、誰にも奪われないモノはなんだろう。

人が人として生きるとき、一番大切なものはモノなんかじゃない。自分が自分であるという記憶だ。それは、経験という名の宝物を通して人を昇華させていく。そして、人が死ぬ時、一緒に失われるもの。

限られた、いつ終わりがやってくるかも分からない、儚い我々の人生は、たくさんのモノを残すことではなく、たくさんの経験を積むために使いたいと、ふと、思った。
posted by 中庸 at 16:05| 沖縄 ☀ | TrackBack(0) | 考えさせられる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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